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2008年ブラジルGP:ルイス・ハミルトン初戴冠とフェリペ・マッサの悲劇

2008年ブラジルGP:ルイス・ハミルトン初戴冠とフェリペ・マッサの悲劇

要約
2008年ブラジルGPはハミルトンの初戴冠とマッサの無念の敗北で幕を閉じました。シンガポールGPでの「クラッシュゲート」疑惑も絡み、マッサは現在、2008年の「正当な」チャンピオンとしての認定を求め、法的手続きを進めています。

18年前、フォーミュラ1史上最も象徴的なタイトル争いの一つがブラジルGPで繰り広げられ、劇的かつ忘れられないフィニッシュでルイス・ハミルトンの初チャンピオンが決定し、フェリペ・マッサは心を痛めることとなりました。実況のマーティン・ブランドル氏による「グルックか? そうだ、グルックだ!」という言葉は、このレースの象徴として語り継がれています。

なぜ重要か:

2008年のブラジルGPは、F1の歴史における決定的な瞬間として記憶されています。そのスリリングな結末だけでなく、両ドライバーのキャリアに与えた長期的影響も大きいからです。ハミルトンの初タイトルは、彼の伝説的な旅の始まりを告げるものでした。一方、マッサにとっては、あと一歩で掴めたはずの栄光であり、現在も「正当な」チャンピオンとして認められるための法的異議申し立ての根拠となっています。

詳細:

  • 争点: 最終戦を前に、ルイス・ハミルトンはフェリペ・マッサに7点差(94対87)でリードしていました。当時の旧ポイントシステム(10-8-6-5-4-3-2-1)では、マッサが優勝し、ハミルトンが5位以内に入ればハミルトンがタイトルを獲得。マッサが優勝し、ハミルトンが6位以下に終わった場合、より多くの優勝回数(ハミルトン5勝 vs マッサ6勝)を持つマッサがチャンピオンとなる状況でした。
  • レース展開: マッサはレースをフロントから支配し、ハミルトンは当初、快適な4位を維持していました。しかし、インテルラゴスでの終盤の雨により、状況は劇的に変化しました。
  • 決定的なピットストップ: マッサとハミルトンは共にウェットタイヤに交換するためピットインしました。マッサは首位を維持しましたが、ハミルトンは5位でコースに復帰。しかし、ドライタイヤを続行したトヨタのティモ・グリュックに抜かれ、6位に後退してしまったのです。
  • ベッテルの攻勢: レース残り3周、ロバート・クビサがアンラップを試みる最中、ハミルトンはジュアン(Juncao)でスライドしてしまい、当時トロロッソに乗っていたセバスチャン・ベッテルに5位の座を奪われました。これによりハミルトンは6位に落ち、マッサがチャンピオンとなる位置につきました。
  • グリュックの役割: 最終ラップが始まると、ハミルトンは6位で、タイトルを失ったかに見えました。しかし、悪化するコンディションの中、ドライタイヤで苦戦していたティモ・グリュックのマシンは非常に遅くなっていました。ハミルトンは最終ラップの最後のコーナー、ジュアン(Juncao)でグリュックをオーバーテイクし、再び5位に浮上。これにより、チャンピオンシップをもぎ取ったのです。

その背景:

2008年のブラジルGPのドラマは、そのシーズン前半のシンガポールGPで発生した「クラッシュゲート」スキャンダルとも深く関連しています。ネルソン・ピケJr.の意図的なクラッシュによりセーフティカーが導入され、マッサは燃料ディスペンサーをつけたまま走行するという悲劇的なピットストップを経験しました。このインシデントと、当時のFIAおよびF1関係者による隠蔽疑惑が、マッサの現在の法的請求の根拠となっています。

今後の展開:

フェリペ・マッサは英国の裁判所に「陰謀」を主張し、6,400万ポンド(約110億円)の損害賠償を求めて提訴しました。これは2023年のバーニー・エクレストン氏のインタビューに端を発しており、同氏は2008年シーズン中にピケJr.の意図的なクラッシュを知りながら、スキャンダルを避けるためにマックス・モズレー氏と共に隠蔽したと述べています。マッサはハミルトンのタイトルを覆すことを目指しているのではなく、シンガポールGPの結果が不正に操作されたという疑惑に基づき、「2008年の正当なチャンピオン」として認められることを求めています。法的手続きは進行中であり、2008年の出来事がF1の世界で今なお生き続けていることを示しています。

元の記事 :https://racingnews365.com/lewis-hamilton-sparks-felipe-massa-heartbreak-in-iconi...

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